2013年4月10日(水)エゼキエル3章 見張りの務め


「わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない。…悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。」(エゼキエル3:17-18)

 神はエゼキエルに、イスラエルの人々の見張りの務めを与えます。それは、神に代わって警告する務めです。つまり、悪人に対しては現在の悪の道から離れ、命を得るように戒めます。一方、正しい人には過ちを犯さないよう戒めるのです。この二重の警告を、人を恐れ、たじろいで怠るなら、彼らの死の責任を見張りの者は問われます。

 見張りの者は、城壁で囲まれた都市の存亡と深く関わる務めを果たす役割でした。城門の屋根または塔から四方を注意深く観察し、不測の事態、特に敵の攻撃には「角笛を吹き鳴らして民に警告する」のです(33章3節)。これを怠って民の命が失われたとき、その血の責任を見張りの者は問われます。

 見張りの務めの厳しさが、神の言葉を語る者に求められます。ここで忘れてはならないのは、なぜ神はこの務めを設けて、罪の警告をしているのか、ということです。それは「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ」(33章11節)という、神の熱情のゆえなのです。