2013年3月25日(月)創世記44章 自身を犠牲とする


「何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。この子を一緒に連れずに、どうしてわたしは父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」(創世記44:33-34)

 ヨセフ物語は、ヨセフ自身の成長物語であると同時に、兄たちの成長物語です。最初、父がヨセフばかり愛するのに対し兄たちは「穏やかに話すこともできなかった」(37章4節)のでした。兄たちがヨセフを陥れたとき、幾人かの兄は助けようとしましたが、他の兄弟に隠れて行動したために、弟が売られるのを救えませんでした。

 しかし、今回は、他の兄弟たちのために人質となり(42章24節)、末弟を守るために、子や自身を差し出す等(42章37節・43章9節)、他者のために自らを犠牲とするのです。

 これはまさに、主イエスの十字架での自己犠牲の愛に通じる姿です。兄弟たちの振る舞いは、他人を愛するということがどういうことであるか、キリストが十字架で表してくださった愛の方向を指し示しています。また同時に、私たちのような者でもキリストに倣って隣人のために自己を犠牲にすることができるのだということを教えています。私たちを生かす神の愛を、私たち自身も持つことができるように祈りましょう。