2013年3月15日(金)1テモテ3章 信心の秘められた真理


神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、
キリストは肉において現れ、
“霊”において義とされ、
天使たちに見られ、
異邦人の間で宣べ伝えられ、
世界中で信じられ、
栄光のうちに上げられた。(1テモテ3:15-16)

 教会とは何か、ということの本質が理解されていないと、教会はいとも簡単に人間の欲望を満たす場となってしまいます。この世的な考えや悪魔的な教えがはびこってしまうのです。

 そこでパウロは、「間もなくあなたのところへ行きたい」(14節)と近々教会を訪問したい想いを伝えつつも、「行くのが遅れる」(15節)かもしれないので、先に手紙で想いを伝えました。パウロは自分がいなくても、教会とは何であるかという本質理解を、信徒たちが一刻も早く身につけてくれることを望んでいます。

 教会は第一に、生きておられる神のものであって、誰かの所有物のように考えることは許されません。

 第二に、真理の柱であり土台ですから、教会が道を踏み外すことで、真理が歪められてしまうことのないようにしなければいけません。

 その教会を堅固にする真理とは、16節で語られている通りのキリストにほかなりません。聖書が伝え、伝統的な教会が受け継いでいるキリストこそ、教会の柱であり土台です。