2013年3月14日(木)創世記39章 常に誠実であること


主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。(創世記39:2-4)

 奴隷としてエジプトに売られたヨセフでしたが、主が共におられたので、良い待遇を受けるようになります。しかし、彼が何もせずに事態が好転したわけではありません。彼は務めを果たし、その働きを主が「うまく計らわれた」のです。彼は奴隷の身分でも気落ちせず、そこで与えられた務めを誠実に果たしました。そしてそこに神の顧みが現れたのです。

 とは言え、万事が順調に進んだわけではありません。ヨセフは主人ポティファルの妻に陥れられ、牢に捕えられることになります。この出来事から私たちは、自分がどれほど誠実であっても、なお悪意を向けられる時があることを知るのです。

 しかしだからと言って、私たちが誠実でなくてもよいということではありません。ヨセフは捕えられた牢でも神が共におられることを確信し、誠実であり続けました。そして実際に神は、ヨセフと共におられ、そのなすことを「うまく計らわれた」(23節)のです。

 神の顧みは、いつも変わりません。