2012年9月29日(土)エフェソ4章 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ


主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。(エフェソ4:5-6)

 キリストを「主」と告白することは、極めて重要なことでした。何故なら、この「主」という言葉は当時ローマ皇帝に使われた言葉だったからです。キリスト者はそれを命がけで拒否して、イエス・キリストに「主」という言葉を使いました。キリスト者にとって、「主」はお一人です。

 次が信仰です。信じている「主」がお一人であるならば、その信仰も一つです。教会は考え方や、性格、経験による一致ではありません。「ユダヤ人」だけが救われて、「異邦人」は救われない信仰ではないのです。ここでの議論は、誰に対する信仰かです。教会は、イエスをただ一人の「主」とする信仰によって一つなのです。

 洗礼も一つです。洗礼は、イエスを「主」と告白した者を、「主」の体である教会に正式にメンバーとして受け入れる機会でもあります。洗礼によって、ただ一人の主イエスと結びつけられるので、洗礼を受けた教会員はすべて一つです。

 教会にとって一つであることは、命をかけて、守るべき特質です。