2012年9月1日(土)ルカ16章 金持ちとラザロ


アブラハムは言った。「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。」(ルカ16:31)

 二人の人物が登場します。金持ちは、地上の生活の間、毎日、贅沢に遊び暮らしていました。一方、ラザロは、この金持ちの家の門のところで物乞をしながら生きていました。やがて、二人とも死を迎えます。ラザロは天国に迎え入れられ、金持ちは陰府で、永遠の炎の中での苦しみを味わいます。

 なぜでしょうか。この世の生活の間、ラザロは善い行いをし、金持ちは善を行わなかったためでしょうか。そうではありません。これを読み解くヒントは、ラザロという名前にあります。「神は助け」という意味です。神の助けを必要とせず、富に頼りきっている無名の「金持ち」と、極貧のなかで神の助けに依りすがるほかはない人との対比が、ここにあります。

 主イエスは、この対比を用いて、生きている今このとき、主の教えと「モーセと預言者」に代表される旧約聖書に聞く以外、死後にセカンドチャンスはないことを語られました。私たちは、時のある間に御言葉に耳を傾け、神の裁きを恐れ、神に頼ることを、今、学ばねばなりません。