2012年8月20日(月)哀歌4章 ああ、なんということか


憐れみ深い女の手が自分の子供を煮炊きした。
わたしの民の娘が打ち砕かれた日
それを自分の食糧としたのだ。(哀歌4:10)

 「なにゆえ」という言葉が哀歌では繰り返されています(1章1節、2章1節、4章1節)。「ああ、なんということか」という預言者の悲しみの言葉です。この嘆きは、エルサレムの陥落という歴史的事件によって発せられたものです。そこで崩れてしまったのは、町や城壁だけではありません。何よりも、人間の心が罪の病にとらわれていたのです。

 憐れみ深い女の手が自分の子どもを煮炊きし、食べてしまった、と書かれています。これはそれほどまでの飢饉の激しさを表したものです。

 哀歌の語る悲惨は、人間が主なる神から離れて生きてしまったために起こる悲しみです。子どもたち、老いた人たち、障がいを負って生きる人たちが苦しんでいる現実は、そのことの現れではないでしょうか。

 ある作家は、「地獄は、あの世にあるのではない、この地上に今、ここにある」と言いました。主よ、あなたから離れて生きる悲惨から私たちをお救いください。