2012年7月27日(金)ルカ3章 イエスの道備え


そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(ルカ3:16)

 洗礼に至る備えの期間は、人によって違いますが、ときには晩年までかかることがあります。時間がかかっても、一人の救いは教会の喜びであり天上の喜びです。

 新約聖書で洗礼の道を開いたのは、ヨハネです。実は、ヨハネは主イエスが登場するまでの道備えをしていました。彼は水で洗礼を授けていましたが、来るべき方は「聖霊と火」で洗礼を授けると語りました。彼の備えを受けて、初代教会は、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けました。罪人の一員として洗礼をヨハネから受けてくださった主イエスこそ罪人の救い主である、と聖霊によって(1コリ12章3節)公に告白する者に、洗礼は施されます。

 ヨハネは、主イエスと比較するとき、自らを主の履物のひもを解く値打ちもないと表現しました。その小さな者が、主の道備えに用いられることに、畏れと喜びを覚えていたことでしょう。洗礼は、三位一体の神の名による宣言行為です。そのために教会の働きが用いられるとは、大きな喜びです。