2012年6月17日(日)詩編131編 母の胸にいる幼子のように


主よ、わたしの心は驕っていません。
わたしの目は高くを見ていません。
大き過ぎることを
わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を、幼子のように
母の胸にいる幼子のようにします。(詩編131:1-2)

 都に上る歌は、礼拝に向かう歌です。心が驕り高ぶっていては神を礼拝できませんから、詩人は魂を静めています。

 思えば人間の罪は、神にもなろうとするほど、驕り高ぶった心から始まりました。「大き過ぎること」、「及ばぬ驚くべきこと」を、アダム以来、追い求めています。

 この歌には、「ダビデの詩」と書いてあります。ダビデは、王様になってから、エルサレムの都に君臨しました。一時は驕り高ぶって罪を犯しましたが、悔い改め、それ以来、いっそう謙虚な礼拝者になりました。そして、ダビデに約束された「永遠に王座につく」メシアを待ち望む者となりました。

 「ダビデの子」イエス・キリストは、天より降って十字架の死に至るまで低くなられました。このことが私たちの魂を砕いて、驕り高ぶる心を沈黙させてくれます。沈黙した魂は、礼拝で神の言葉を待ち望みます。キリストは、雌鳥が雛を集めるように、キリストの体なる教会を信仰者の母として養っておられます。