2012年6月14日(木)ローマ4章 旧約の人びとの救い


神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、(アブラハムは)確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。(ローマ4:21-22)

 旧約時代の人びとも、新約時代(イエス・キリストへの信仰によるいのちの時代)の人びとと質的に同じ人です。キリストは旧約に直接は登場しません。まだ約束されているだけです。では、キリストへの信仰によるいのちの通路は新約時代だけのものでしょうか。

 そうではありません。第一に、旧約時代にキリストはこの世界に登場しておられませんが、神の約束のなかに既におられます。当時の人びとは、約束のなかのキリストへの信仰によっていのちを得ました。

 第二に、信仰の中心点は、神に願い神から受け取る態度ですから、それは旧約で賞賛されている人びと(たとえばアブラハム)の態度そのものです。驚くべきことに旧約のなかに、キリストという名こそ出てきませんが、「信仰によって与えられる神の義(いのち)」が書かれています。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(3節)と。

 神は、旧約時代と新約時代で態度を変えられたわけではありません。いのちの道は、キリストにあって、常に一つです。