2012年4月9日(月)ヨハネ20章 見ないのに信じる人の幸い


「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)

 弟子たちは、主イエスが「永遠の命の言葉を持っておられる」と信じて、従った者たちです。彼らは、「御一緒になら、死んでもよい」と豪語しましたが、結局は皆、裏切って逃げてしまいました。そして、主の復活に期待をかけることもなく、ユダヤ人たちを恐れて、閉じこもっていました。また、主の復活を伝える婦人たちの話を「たわ言」のように思いました。そしてトマスは、よく調べてみなければ、「信じない」とさえ言いました。弟子たちはこのように、主の復活を信じていませんでした。

 彼らもまた、「よこしまで神に背いた時代の者たち」(マタ16章4節)だったのです。他の人びとと同様に、その思いは自分の考えられる範囲の中にまだ留まっていました。しかし、復活の主に出会い、その後、聖霊が降ったとき、彼らは聖書の啓示するすべての望みが、復活のメシアにおいて成就したことを大胆に語りました。私たちには、見ないで信じることができる道が整えられています。見ないのに信じる人は、幸いです。