2012年4月6日(金)マタイ27章 神の子を十字架に


ピラトが、「では、メシアと言われているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。(マタイ27:22)

 捕らえられてローマの総督ピラトの前に立たれた主イエスは、裁判を受けられました。ユダヤの祭司長や長老たちは、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得しました。

 群衆はそれに応えて、イエスを「十字架につけろ」と叫びます。このとき群衆は理性を失って暴走している状態です。何が何でもイエスを十字架につけねばならぬという彼らの勢いに押されて、ピラトは自分の立場を守ろうと主を、十字架へと引き渡してしまいます。まるで人類の罪が一致協力して、群衆を通して、主イエスを十字架につけようとしているかのようです。しかし群衆は、主イエスが十字架につけられることの意味をもちろん知りませんでした。

 このように、群衆のわめき散らす声が救い主を十字架に追いやり、それが人間の罪の贖いになるという、人の思いをはるかに超える神の深いご計画が、実現しました。それが私たちの罪のためであることを、私たちキリスト者は、いつも深く心に留めています。