2012年2月6日(月)ヨシュア18-20章 神が備えられた憐れみの道


イスラエルの人々に告げなさい。モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、意図してでなく、過って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。(ヨシュア20:2-3)

 信仰生活の中で、意図してなしたのではない過失を体験することがあります。どれほど信仰深くても、また、どのような慎重さをもって事を行っても、過失が起こることを防ぎきることはできません。そのような過ちを犯してしまったとき、赦しと救いを求めて心は張り裂けそうになるでしょう。

 主なる神は、ヨシュアに対して、逃れの町を定めることを命じられました。それは、意図してではなく、過って人を殺してしまった人が逃れることができるための町です。通常、人を殺すということは大きな罪です。ですから、主は、正式な裁判によって裁かれるまで猶予を与え、単なる私的な思いで復讐が行われないようにされたのです。

 私たちが知らずに犯している罪は多くあります。それらは確かに罪ですが、なお、主はそのような罪に対して憐れみの道を今も備えておられます。それが、救い主イエス・キリストによる赦しの道です。この赦しがあるからこそ平安があるのです。