2011年11月29日(火)申命記28-29章 呪いと祝福


もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。(申命記28:1)

 私たちにとって主の御声に聞き従い、主の戒めを守り行うとは、単に「言葉」に従うかどうかということではありません。主の「御声」とあるように、生ける主なる神の御声、そこに表された神の御心に聞き従うということです。主の御声に従うならば祝福が、背くならば呪いが臨むと言われます。

 呪いというと、不気味に聞こえます。しかし、それは律法に背く者が受ける正当な神の裁きです。律法は善いものであり、これを守り行う者に祝福と命が約束されています。問題は、それを行うよう求められた私たちの心の有り様です。律法学者たちは、律法を言葉どおりに守れたことに自己満足して、神の御心に近づくために必要な悔い改めが欠けていました。

 神の御心に従い得ない私たちです。だからこそ、イエス・キリストの救いが必要です。イエス・キリストは、主の御声に従い得ない私たちの罪を償うために、十字架に死に、贖いとなってくださいました。ここにまことの命と祝福が実現したのです。