2011年10月30日(日)詩編118編 人が捨てても


家を建てる者の退けた石が
隅の親石となった。
これは主の御業
わたしたちの目には驚くべきこと。
今日こそ主の御業の日。
今日を喜び祝い、喜び躍ろう。(詩編118:22-24)

 神の御業は不思議です。礼拝者として生ける神の御前に出るとき、その御業が人の思いを遥かに越えていることを知るのです。専門の大工が、馬鹿にして要らないと捨てた石にもかかわらず、家の完成の時には、それを支える最も大切な石となったと言われています。

 主イエスは、ぶどう園と農夫のたとえで、この箇所を引用し、「隅の親石」はご自身のことだと示されました(マコ12章他)。主イエスは捨てられました。けれども、十字架の後、三日目に復活されて、救いの道を開かれました。

 私たちも軽蔑されることがあります。捨てられそうになり、苦難を味わうことがあります。神の不思議な導きで、主が隅の親石となられたように、私たちもまた、生きた石として、教会を建て上げるのに用いられる、とペトロは語っています(1ペト2章)。

 宗教改革記念礼拝の日です。苦難には意味があることを、聖書を通して覚えましょう。主を信じ、主から委ねられた使命を、勇気を持って、喜びつつ果たしましょう。