2011年9月23日(金)ガラテヤ3章 福音信仰に生き抜く祝福


あなたがたに”霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。(ガラテヤ3:5)

 聖霊を受けたのは、律法を行ったからでしょうか。そうではありません。福音を信じたからです。ところが、福音を聞いて信じて聖霊を与えられて信仰生活を始めたのに、また律法主義に陥ってしまう危険があります。いつのまにか律法を完全に守り行わなければ救われないと、再び罪と肉の思いの奴隷に舞い戻ってしまうのです。パウロが、物分かりが悪い、と嘆くのは、その点についてです。

 パウロは、ガラテヤの人びとをこの愚かさから救出するために、父祖アブラハムの信仰を示します。このアブラハムの信仰によって、ユダヤ人のみならず、異邦人がみな祝福される、と神は約束されました。これはまさに福音です。ですから、信仰によって生きる人こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい、と語調を強めて告げています。信仰の父の子として、喜びと感謝と誇りを持って信仰に生き抜き、祝福された生涯を全うするように、と勧めます。律法によっては、その祝福にあずかることはないのですから。