2011年9月18日(日)詩編112編 信仰者のヴィジョン


ハレルヤ。
いかに幸いなことか
主を畏れる人
主の戒めを深く愛する人は。
彼の子孫はこの地で勇士となり
祝福されたまっすぐな人々の世代となる。(詩編112:1-2)

 この詩編は111編と同様、ヘブライ語アルファベット順の詩です。覚えやすい「いろは歌」で、神の御業を覚え、見つめます。過去の御業を暗譜してまで歌えることを願うのは、信仰者の将来と深く関係するからです。

 イスラエルの民は、未来を背後にあると受け止めていました。ちょうど小さなボートを漕ぐ姿に似ています。そこに漕ぎ手が見ているのは、過去の神の御業です。しかしその時、過去に働かれた神がこれからも働いてくださると、この詩編のように背後の将来が開かれてくるのが見えるのです。

 「いかに幸いなことか」は、羨ましい、と訳せる言葉です。一日、二日、一年、二年の短い期間で考えるのでなく、「裁きのとき」(5節)、終末を覚えて生きるのです。それができることが、幸いです。
 主イエスは、世の終わり、完成をもたらすために再臨されます。恵みの将来を信仰者のヴィジョンとして、示してくださいます。「いかに幸いなことか、主を畏れる人、主の戒めを深く愛する人は」と。