2011年9月17日(土)ガラテヤ1章 何よりも尊い福音


こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。(ガラテヤ1:10)

 「わたしは福音を恥としない。福音は、…信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(ロマ1章16節)と、パウロは、福音を何よりも誇りとすることを、高らかに宣言しています。

 キリストは人間の罪を贖うために来られ、十字架の恥と苦しみを受け、死んで三日目に復活されました。このキリストを信じる者に罪の赦しと復活の永遠の命とが与えられます。これが、福音です。

 罪ある人間の理性は、十字架と復活を中心とした福音を、愚かしいものと思い、信じません。そこで受け入れやすいようにと福音を歪めてしまったら、それはもはや福音ではありません。福音でないものをどんなに宣教しても、人は救われません。

 パウロは、まことの福音をもたらしてくださったキリストの僕として、人にではなく、キリストに対して忠実に仕えてきました。主の僕として生きるとは、聖書で与えられた福音をそのまま信じ受け入れることです。それこそ、確実な救いをいただける唯一の道です。