2011年9月2日(金)使徒22章 主のためにすべてを生かして


千人隊長が、「わたしは、多額の金を出してこの市民権を得たのだ」と言うと、パウロは、「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」と言った。(使徒22:28)

 エルサレムに到着するやいなや、予想通り、パウロはユダヤ人に捕えられてしまいます。しかし、パウロは、厳しい迫害を受けても、ユダヤ人に救いの恵みを証しすることを決してやめませんでした。

 パウロは一方で「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(フィリ3章8節)。ところが他方で、神の国の進展に役立つ限り、世俗的価値をも最大限に用います。パウロは今まさに、ローマの市民権を主張することによって、ユダヤ人の殺害の手から逃れつつ、ローマまで護送されたのでした。これは、人間の知恵や力の勝利ではありません。「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」(21節)という主のご意志によるものです。

 神は、ご自身の栄光のために、私たちのすべてを用い、共に働いて、御業を成し遂げてくださいます。私たちも、喜んで主にすべてをささげ、主の栄光のために、自分のすべてを存分に生かしていただきましょう。