2011年5月31日(火)イザヤ36章 信じる忍耐


「これらの国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも主はエルサレムをわたしの手から救い出すと言うのか。」しかし彼らは、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。(イザヤ36:20-21)

 自分ではどうにもならない危機のなかで選択を迫られることがあります。あちらに依り頼むべきか、こちらに救いを見出すべきか、心が揺れます。自分の生活がかかっている問題、まして生死を分けるような状況に直面した私たちの心は、波間に揺れる木の葉のように動揺します。

 主に信頼しなさい、と教会で説教され、聖書が教えているにもかかわらず、そのような状況に陥ると、信仰のことなど考える余裕もなくなります。そもそも神がいるならなぜこんな目に遭わなければならないのか。神を信じて良いことなどあるのか。結局、この世を生きていくには信仰など役に立たないのではないか…。

 大国アッシリアからの使者の言葉を耳にしたユダの人びとの心も、今日を生きる私たちとそう違いはなかったことでしょう。この現実と信仰とのジレンマを乗り切るためには、忍耐が必要です。簡単に答えを出さないことです。なぜなら、神には答えがあるからです。神の答えを待ち望む人は幸いです。