2011年5月27日(金)マタイ27章 主イエスを心から愛した弟子


この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。…ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。(マタイ27:58-60)

 世の人すべてが、あの日サタンの味方になってしまったのでしょうか。「十字架につけろ」という叫び声のなかで、主イエスは十字架を背負い、苦難と辱めのなかで処刑されました。その日は、主イエスがすべての人から捨てられたような日でした。弟子たちも皆、主イエスを見捨てて逃げてしまったので(26章56節)、死なれた主イエスは、引き取り手がなく、十字架にかけられたままになるところでした。

 しかし、総督ピラトのところに行って、イエスの遺体の下げ渡しを願い出る人がいました。議員で金持ちであったヨセフでした。ヨセフとしては命がけの行動であったでしょう。持っているものすべてを失うかもしれない行動でした。

 信仰が行動をうながし、行動が信仰を励ますときがあります。愛する主の遺体が放置されてはならない。それがヨセフの決断でした。主の遺体を渡されたヨセフは、自分の墓に納めました。自分の墓を休み場として主に献げる。そこにヨセフの愛が溢れています。