2011年4月25日(月)マタイ28章(2) 復活節 急いで墓を立ち去り


婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。(マタイ28:8-9)

 婦人たちは、主イエスの復活の知らせを天使から聞きました。「十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」(5、6節)。

 復活がなければ、婦人たちにとって、主イエスの遺体のない空の墓は、悲しみの場であり、絶望の場所でした。泣き崩れ、その場に留まったことでしょう。しかし、復活が起こったので、彼女たちは、急いで墓を立ち去りました。なぜなら、そこにはもう主イエスはおられないからです。主イエスは生きておられるので、空の墓の中に主イエスを捜す理由はなく、墓に留まる必要はなくなったからです。

 復活の主を空の墓の中に探すのは、愚かなことです。主が共におられるのに、おられないかのように疑い、悩むのも愚かなことです。そのような不信仰に留まるべきではありません。急いで墓を立ち去った婦人たちのように、信仰者に相応しくない疑いや迷いは捨て去りましょう。