2011年4月13日(水)イザヤ22章 神に立てられる僕


その日には、わたしは、わが僕、ヒルキヤの子エルヤキムを呼び、 彼にお前の衣を着せ、お前の飾り帯を締めさせ、お前に与えられていた支配権を彼の手に渡す。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。(イザヤ22:20-21)

 シェブナは、ヒゼキヤ王が認め、愛した官僚でしたが(王下18、19章)、王に仕えず、自分のために権力を乱用しました。シェブナの後任としてヒルキヤの子エルヤキムが登場します。

 エルヤキムは、王から大いなる信頼を得ます。敵と交渉するときに、彼は王宮を司る代表者として対応します。王はエルヤキムに権力を委任したしるしとして、衣を着せ、飾り帯を締めさせます。彼は、エルサレムの住民とユダの家の父となり、民の平安と平和のために力を注ぎます。

 エルヤキムは、神に立てられた「かなめ」(23節)として一時期、用いられます。しかし、人びとが過度に頼ると、彼は高慢になり、共同体を破滅させます。結局、この「かなめ」は抜け落ち、「それに掛けられていた重荷は、壊され、落ち、断たれ」(25節)ます。

 優れた人が「かなめ」になっても、それは抜け落ちることがあります。人を信頼しても、人に依存することはできません。真の救い主こそが、「かなめ」です。