2011年3月26日(土)1コリント11章 秩序ある礼拝


女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。(1コリント11:5)

 コリントの教会には、頭に物をかぶらない女たちがおりました。そこには、髪を振り乱す熱狂主義者やキリストにあって男も女もないと主張する者たちがいたのかも知れません。

 ところで、創世記の第2章に神が初めに男をお造りになり、その男のあばら骨から女を男の助け手として造られたことが記されています。パウロは、そのことを念頭に置き、コリントの教会に「すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神である」(3節)と語ります。そして、パウロは、女性は帽子を被ることで、頭を尊んでいることを表明すべきであると勧めます。

 この議論は、社会一般に於ける女性の身だしなみを語っているのではありません。祈ったり、預言したりする礼拝のあり方と関わるものです。パウロは、具体的な仕方で、礼拝の秩序回復をコリントの教会に迫っています。神は、まさに無秩序の神ではなく、平和の神です。パウロの願いは、その神の姿を礼拝であらわすことです。