2011年3月17日(木)1コリント6章 聖なる者たちが世を裁く


あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。(1コリント6:2)

 コリント教会は、教会員の間での争いごとへの対応を、主にある兄弟姉妹に頼まないで、裁判という仕方で世の人びとに訴え出たようです。

 パウロは、「兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で」(6節)と問いかけています。これは、裁判の全否定ではありません。パウロは、兄弟間の事柄は本来なら信仰の課題として扱えるのに、この世の尺度でそれを測らせようとする姿勢を問題視しています。また、兄弟間の事柄がこの世の裁判で争われるなら、兄弟同士の亀裂はより深いものとなります。パウロによれば、どちらが勝訴しても、それは聖なる者としては負けなのです(7節)。

 パウロは、コリントの教会員に彼らが「世を裁く」と語りかけています。世界と歴史は再臨のイエス・キリストによって裁かれますが、キリスト者はそのイエス・キリストにおいて世を裁きます。私たちも、教会生活において、自分たちがキリストの裁きを行う者であることを想い巡らしましょう。