2011年1月31日(月)イザヤ12章 救いの泉は開かれた


「主よ、わたしはあなたに感謝します。
あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが
その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。…」
あなたたちは喜びのうちに
救いの泉から水を汲む。(イザヤ12:1-3)

 12章は、全体が神への頌栄であり、一行、一句が感謝、喜び、賛美、決意、信頼を歌って余すところがありません。まさに神の栄光を現し、神を喜んでいます。

 救いの完成の中心は、神の近さです。「イスラエルの聖なる方は、あなたたちのただ中にいます大いなる方」(6節)。聖なる方が、その聖なるままで、私たちの「ただ中」におられます。神は、その民と完全な和解を成し遂げておられます。神のこの近さが、民の味わう「慰め」を確かでゆるぎないものにします。この慰めは、「救いの泉から水を汲む」ことであり、渇きを癒される恵みです。

 この章は、「仮庵祭」という収穫の祭りのときに歌われます。後に主イエスは、その祭りの最中に、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」(ヨハ7章37節)と招かれました。キリストこそ、渇く世のために命の泉を開く救い主です。渇きの深い時代、神に向かって渇くよう、主は招いておられます。救いの泉から飲みましょう。