2011年1月5日(水)イザヤ2章 主が道をお示しになる


多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。(イザヤ2:3)

 イザヤが見ているのは「終わりの日」の幻です(2節)。救いは堅く立ち、国々は争いを止めて、神の平和が地を覆います。目前に迫る試練と裁き、しかし目を遥かに向けると神の国の栄光…。

 新しい年の初め、この預言者の遠近法に学びたいのです。預言者の遠近法とは、現実を正視し、見える現実の奥にある終末の希望に、心を閉ざさないでいることです。

 救いの完成は、「ユダとエルサレム」の癒しと完成に深く結びついています(1節)。しかし、この栄誉を受けるには、エルサレムが真実に「神の家」となり、「主の教え」を宿す従順を学び取ることが必要です。世界の民に求められる悔い改めと従順が、ユダとエルサレムにも同じように求められています。

 救いは「主の教え」と「御言葉」を通して実現します。人間と世界の真の希望がここにあります。主の日の礼拝ごとに、主が道を示されます。日常的な礼拝の歩みが、終わりの日の完成に真っ直ぐつながっている。これが、キリスト者に約束される恵みの遠近法です。