2010年8月7日(土)コロサイ2章 キリストを学び知るために


それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。(コロサイ2:2-3)

 今日の聖句にある「悟る」とは、宗教的な意味での「悟りを開く」ということではありません。むしろ、救いに関する「知恵と知識の宝」であるキリストを「学び知ること」です。悟った人は、必ず、キリストを受け入れ、キリストに結ばれて「歩む」(6節)ところにまで至ります。さらに、個人としての信仰の確信に留まらず、お互いに、「愛によって結び合わされ」て生きようとします。

 また、パウロは、これらのことのために自分が「どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい」(1節)、と言っています。キリストを学び、キリストを体験することは、もちろん、喜びの行為です。しかし、それは、労苦して闘うことをも伴います。

 パウロの苦闘とは、キリストの体である教会を建て、救いの御計画を明らかに宣教し、すべての人をキリストに結びつけるための苦闘でした(1章24〜29節)。

 私たちも、伝道者パウロと同じ苦闘を引き継いで、今、歩んでいます。しかし、この労苦は、励ましてくださるキリストのゆえに、決して空しく終わることはありません。