2010年8月6日(金)コロサイ1章 神のみわざとしての回心


あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。(コロサイ1:21-22)

 すべての人の人生には、神から離れ、神に敵対して歩んでいた過去があります。「昔のことは忘れました」と言いたい人もいるでしょう。罪を憎む思いが強ければ強いほど、過去の古傷には触れられたくない、という気持ちになるのは当然です。

 しかし、パウロは、手紙の読者に、各自の過去を思い出させようとしています。その記憶を失うことは、私たちの救いのために重大な犠牲を払われた神への不信仰だからです。

 赦しと和解は、神から届きました。御子イエスが、「肉の体」とご自身の「死」によって、敵対する私たちとの和解を成し遂げてくださいました。御子を死に引き渡すほどの愛をもって、神への敵対から解いてくださいました。

 こうして、神は、私たちを罪の泥沼から救い出し、神の前に「聖なる者」としてくださいました。キリストと結ばれているゆえに、私たちは、今や、きずのない者、とがめられるところのない者となっています。ですから「過去」を思い起こし、「今」与えられている神の救いの恵みに感謝します。