2010年7月26日(月)ゼカリヤ8章 悲しみの断食を喜びの祝宴に


「万軍の主はこう言われる。四月の断食、五月の断食、七月の断食、十月の断食はユダの家が喜び祝う楽しい祝祭の時となる。」(ゼカリヤ8:19)

 断食は、人間が聖なる神に対して、罪の悔い改めを表すためのものです。まさに70年にも及ぶバビロン補囚は、イスラエルにとっての断食のときでした。けれども今や、主の憐れみが回復され、その断食が神への感謝と喜びに変えられる、と主は宣言されます。それは、社会的な秩序や平和がイスラエルに回復されるだけではありません。散らされた民が再びシオンに呼び返され、さらには、異邦人までもがシオンに来て主を礼拝する、という壮大な約束です。

 この約束は、主イエス・キリストにおいてすでに果たされました。弟子たちは、主イエスと一緒にいる間、一度も断食をしませんでした。主イエスは、「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか」(マタ9章15節)と言われ、主と共にいる今が、まさに喜びの時であることを明示されました。

 この世にあっては、なお悲しみ、苦しみがあります。罪を犯すこともあります。しかし、私たちは望みを捨ててはいません。頭を上げて、悲しみが喜びに、嘆きが踊りに変えられるときを待ち望んでいます。