2010年7月16日(金)ヘブライ5章 キリストの従順に学ぶ


キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。(ヘブライ5:8)

 アロン系の祭司は、血が伴う儀式によって聖別され(レビ8章)、職務と生活に関する戒めを神から受けました。すべては、神の聖性を示すためであり、祭司をその聖務にふさわしい者とするためでした。

 大祭司としての主イエスも、職務を全うするために、「御子であるにもかかわらず」、さまざまな訓練を父なる神から受けられ、「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われ」(4章15節)ました。荒野の誘惑、ゲツセマネの園での苦悶の祈り、十字架の死、それらはすべて、主イエスがどのような人間に対しても真の意味で神と人との間の仲介者となるためのものでした。

 ですから、だれも「こんなに辛い人生の苦悩を経験しているのに、だれもわたしのことを理解してくれる者はいない」などと思ってはなりません。主イエスが知らない苦悩は世にはなく、罪のない方が罪ある者の苦しみを担ってくださったからです。
 執り成しの業を行う者は、主イエスの従順の模範を学ばねばなりません。神への従順を知る者が、友の罪のために祈ることができます。