2010年6月26日(土)1テサロニケ5章 主の日を心して待つ


盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。(1テサロニケ5:2)

 主イエスは世界を裁き、新しい天と地を実現されるために再び来られます。その日がいつであるかは誰にも分かりません。しかし、その日は必ず来ます。主イエスが、十字架と復活の後、弟子たちの見ている前で昇天されてから、約二千年の月日が経ちました。

 主イエスを知らない者にとって、その日が来るのは「突然」のことです(3節)。しかし、私たちにとってはそうではない、とパウロは言います(4節)。いつも備えているならば、その日が盗人のように私たちを襲ってくることはありません。なぜなら、私たちは既に光の子とされているからです。ですから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう(8節)。

 それは、具体的には、御言葉に親しみ、よく祈り、礼拝を大切にすることです。そして、教会の仲間のために、互いに祈り、励まし合っていきましょう。このようにして、私たちは主が再び来られる日の到来を、心を高く上げて待ち望み続けていくのです。