2010年6月14日(月)サムエル上21章 祭司アヒメレクの保護のもとに


祭司はダビデに答えた。「手もとに普通のパンはありません。聖別されたパンならあります。…普通のパンがなかったので、祭司は聖別されたパンをダビデに与えた。パンを供え替える日で、焼きたてのパンに替えて主の御前から取り下げた、供えのパンしかなかった。(サムエル上21:5-7)

 アヒメレクは、ダビデを神のために戦う器と見なして(22章10節)、聖別されたパンとゴリアトの持っていた剣を与えました。逃亡生活中のダビデは、聖別されたパンと神による勝利を記念する剣を祭司から受けることで、神からの祝福を受けたと思ったことでしょう。

 神聖なパンを与える行為は、新約聖書の律法学者からすれば律法違反でしょうが、旧約聖書の祭司アヒメレクは、もっとおおらかです。彼は、神の人ダビデを助けるためには許されると思ったのでしょう。また、ゴリアトの剣は、少年ダビデには無用でしたが、逃亡生活中のダビデの身を守る武器となりました。

 ファリサイ派の人びとが、安息日に麦の穂を摘んで食べた弟子を非難したとき、主イエスは、今日の御言葉を思い起こしておられました(マコ2章23〜28節等)。主は、ダビデと従者が逃亡生活のなかにあっても守られたように、ご自分と弟子とが神の見守りのなかに置かれていることを知っておられたのです。主の勝利の十字架の印を身に帯びている私たちは、主によって守られています。