2010年6月8日(火)サムエル上19章 ヨナタンのとりなし


「彼が自分の命をかけてあのペリシテ人を討ったから、主はイスラエルの全軍に大勝利をお与えになったのです。あなたはそれを見て、喜び祝われたではありませんか。なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか。」(サムエル上19:5)

 ヨナタンは、父サウルがダビデを殺そうとしているのを知り、自分が父にとりなしをすることを、ダビデに約束しました。いくら王の息子とはいえ、王の命令に逆らえば、どのような目に遭うかわかりません。それでもヨナタンは父である王に命がけでとりなしをします。

 ヨナタンは、父に「なぜ、罪なき者の血を流し、……罪を犯そうとなさるのですか」と進言しました。それを聞いたサウル王は、ダビデを殺すことを一度は思いとどまります。しかし、サウルは、ダビデに罪がないことを知りつつも、執拗にダビデの命を狙い続けます。このようにして、これまでにどれほど、「罪なき者の血」が流されてきたことでしょうか。

 私たちの場合はどうでしょう。本当に罪なき方である主イエスを十字架につけて、血を流させ、死に追いやってしまいました。それなのに、逆に、その主イエスが、罪を犯した私たちのために、父なる神にとりなしてくださり、赦しと永遠の命を与えてくださったのです。ヨナタンがダビデのために行ったとりなし以上のものが、ここにあります。