2010年1月11日(月)出エジプト10章 信仰生活における妥協との戦い


「いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ。」ファラオは自分の前から彼らを追い出した。(出エジプト10:11)

 神は、いなごを送り、暗闇を臨ませ、日常生活の自由を制限されました。さすがに、ファラオは、窮地に追い込まれました。見かけは気前よく、「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい」(8節)と言います。そう語りつつ、彼は、「男たちだけで」(11節)、「羊と牛は残しておけ」(24節)などと条件を付けてきました。エジプトに帰らざるを得ない担保を残そうとしたのです。しかし、神は、ここで妥協なさいませんでした。イスラエルを完全に神のものとするまで、神はエジプトと戦われます。

 これは、昔の歴史の一場面ですが、今日の信仰生活にも当てはまります。例えば、一生懸命に教会に行こうとするとき、家族や友人に「教会に行っても、深入りしないように」と忠告されることがあります。ここには、宗教とは怖いものであるという偏見が潜んでいます。それだけでなく、この世は、神の民が心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして礼拝することを嫌います。主の日の礼拝に妥協を迫られるとき、知恵をもって世の誘惑を見抜き、真実な神礼拝を追い求めましょう。