2010年1月5日(火)出エジプト8章 頑な心を開け


しかし、ファラオは今度もまた心を頑迷にして民を去らせなかった。(出エジプト8:28)

 ファラオは、イスラエルの民を、自分の奴隷であり、自分の所有物であると思っていました。しかし、彼らは神の民であり、神のものです。神は、モーセを通して何度もそれを悟らせようとしましたが、高慢なファラオはそれを認めず、拒み続けました。ファラオは、イスラエルの民に礼拝する時間を与えるぐらいなら、その時間帯に自分のために労働させたいと思いました。

 私たちはどうでしょうか。財産、家族、環境、地位、名誉、このようなものすべてが、神から委ねられています。何一つ自分のものではありません。しかし、心が頑になるとき、神の所有を認めず、自分のものであるかのように思う高慢に陥ります。さまざまなものを神以上に愛することによって、私たちの心は固く閉ざされていきます。神に礼拝を献げるべき時間が、自らを楽しませる時間に変質していきます。

 裁きを受けて悔い改める人と、さらに頑迷になる人があります。頑な人には、さらに大きな裁きが用意されています。頑な心を開いて、神の言葉を迎え入れましょう