2009年12月11日(金)2コリント4章 神の力を宿す土の器


ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。(2コリント4:7)

 コリントは陶器の産地であり、海外への輸出港としても有名でした。そのこともあってでしょう。使徒パウロは、自分たちのことを、キリストの福音という宝を内に納めた土の器としてたとえます。

 土の器は、もろくて壊れやすいものです。もともと私たち人間は、土(アダマ)の塵から造られた存在です。弱さを抱えています。また、聖書は、「塵に返る」(創3章19節)を堕落との関わりで語っています。アダムの堕落によって死がこの世に入り、人は死を免れない者となってしまいました。肉体を持つ者としての身体的な弱さ以上に、罪のゆえの弱さをも身にまとう者となりました。

 ここで、パウロは大声で、「しかし」を語ります。土の器のなかに、器とは不釣り合いの宝が入っているからです。キリストの恵みによって新生させられた「内なる人」(16節)が住んでいます。もろく壊れやすいはずの者に、並はずれた偉大な力が与えられています。土の器の弱さと福音の力強さ、アンバランスとも思えるこの組み合わせが、神の力強さを際立たせています。