2009年12月1日(火)ホセア11章 苦悩される神の愛


わたしは、もはや怒りに燃えることなくエフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。(ホセア11:9)

 本章は、神の愛を高く掲げる美しいところです。主は、イスラエルをわが子として育てましたが、イスラエルはその愛に気付かず、バアルに犠牲をささげ、罪を犯し続けました。しかし、善をなす力が麻痺し、悔い改めの心を失っていたイスラエルを、神は、愛によって罪から解放されます。神の愛は、民の罪によっても揺るぎません。

 8節は、「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか」と叫び、「わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる」と苦悩される神をあらわしています。もし、神が、裁くだけの神であれば、淡々と正義を貫き、滅ぼすでしょう。しかし、神にとって、エフライムを見捨てることは、苦しくてできません。

 人間は背く者、敵対する者を愛せませんが、神は背き続ける者を愛し救われます。これは、「わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない」と語られる神だからこそ、おできになることです。神の愛は、キリストの十字架の贖いにおいて、今、私たちに示されています。