2009年11月12日(木)テモテ2章 すべての人々が救われる祈り


そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。…
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。(1テモテ2:1-4)

 「祈り」に関する通常の理解は、神との会話であり、交わりです。神がわたしを愛しておられ、わたしも神を愛するという個人的な人格の交わりが、祈りの中心にあります。

 ところで、何のための祈りかと問うと、祈りの理解は広がります。パウロは、ここで、祈りを「願いと執り成しと感謝」と言い換え、更に、すべての人のためになされるものとして提示しています。

 「願い」は、個々の願いにとどまらず、より大切なことは「神の御栄えが現されますように」という頌栄としての祈願です。「執り成し」は他者のための祈りです。執り成しの祈りに生きることは、神の民の重要な責任です。家族や知友のためだけでなく、上に立つ為政者たちのためにも祈ることが求められています。「感謝」は神がわたしのためにすべての必要を満たしてくださることへのお礼です。感謝はまた、私たちの生の本質が神に属することの告白です。

 パウロは、神が救おうとしておられるのは「すべての人々」であると言いました。私たちも、すべての人びとの救いのために祈りましょう。