2009年10月22日(木)マルコ11章 真実の祈りは山を動かす


そこで、イエスは言われた。
「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。」(マルコ11:22-23)

 主イエスは、エルサレム神殿に足を踏み入れたとたん、怒りを覚え、真実の祈りへの飢えを感じられました。人びとは、祈りの家と呼ばれる神殿で、実のない葉っぱだけのような祈りを献げていたからです(12〜14、17節)。

 では、私たちがなすべき祈りとは何でしょうか。それは何よりも罪の赦しを願う祈りです。私たちの前には、罪と死という大きな山が立ちはだかっています。だから、あなたがたは人を「恨む」(25節)心に生きるのではなく、互いに愛し、赦し合う心を真剣に求めなさい、と主はおっしゃったのです。

 そして、驚くべきことに、主はこの祈りをする者は「すべて既に得られた」(24節)と信じることができると言われました。なぜなら、主イエスは、私たちの罪の山に立ち向かい、それを取り除くために十字架で血を流され、よみがえられるお方だからです。

 既に山は動いたのです。その神の祝福を信じよう、と主は呼びかけてくださいます。私たちの祈りは、既に確かに与えられた神の祝福を、いつもあとから追いかけるようにして生まれるのです。