2009年10月9日(金)マルコ7章 心の清さを得るために


「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」(マルコ7:20-23)

 主イエスは、食事の際のきよめの慣わしを無視していると詰問されたとき、イザヤ書29章13節を引用しながら、うわべだけ敬虔を装うファリサイ派の人びとと律法学者たちの偽善を指摘されました。さらに、14節以下で、外的儀式では清めることができない人間の心の汚れの問題を取り上げられました。

 偽善や心の汚れの問題は他人事ではありません。21、22節にあるリストは、私たちの悪い思いをほぼ網羅しています。このリストから完全に自由になっている人はいないのではないでしょうか。また、これらの思いを溜め込む心は、如何に汚れていることでしょうか。

 けれども、この汚れを清めようと自分で努力するだけなら、ファリサイ派や律法学者と同じ過ちに陥りかねません。心の奥は清くないのに、外面だけを繕うという過ちです。私たちは、罪を素直に認め、主の憐れみによらなければ望みのない者として、悔い改めて主に頼ります。そのとき御霊は、十字架の赦しを心の奥に刻みつけ、心の深みから新たにする聖化の御業をなしてくださいます。