2009年10月2日(金)マルコ4章 自分の量る秤で


「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。…何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」(マルコ4:22-25)

 ここでは、「何を聞いているかに注意しなさい」とあります。私たちは、どうでもいいことを、聞いているのではありません。今は、余り知られていなくても、後日、必ず公になります。そのような重大なことを一足先に聞いているという自覚をもって、聞くことが必要です。

 聞いていますのは、もちろん、神の御言葉です。それを「何である」と判断しているか(量っているか)が問われるのです。聞いていることを、神の御言葉だと量って聞くならば、更にますます与えられる。しかしそうでなければ、持っているものまでも取り上げられてしまう、というわけです。

 御言葉は私たちのうちに働きます(1テサ2章13、14節)。神は、ともし火を掲げるように、福音の恵みを、御言葉を通してはっきりと示してくださっています(ロマ16章25、26節)。ですから、御言葉の恵みに浸りましょう。これは、御言葉の知識が増えることと同じではありません。御言葉を聞く喜びに生きる人は、神に養われる体験を積み重ねて、豊かな人生を歩みます。