2009年8月21日(金)使徒22章 信仰の決断


「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。」(使徒22:16)

 パウロは、洗礼を受けることにためらいました。それは今までの生き方すべてを変え、すべてを捨てることを意味していました。迫害者の過去をもつわたしが本当に大丈夫だろうかという戸惑いもあったことでしょう。そのパウロに、アナニヤは言います。「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。」

 信仰は、決断を必要とします。決断するには、よくよく考える必要があります。安易な決断は危険です。祈りも必要です。人々の助言にも謙虚に耳を傾けなければならないでしょう。しかし、パウロの場合は、アナニアを通して、主の促しを受けることができたのが、決定的でした。

 この促しにより、パウロを通しての異邦人伝道は始まりました。異邦人を救いたいと願われた主が、アナニアを通してパウロの心を整えてくださいました。私たちの側にためらう理由が多くあっても、主の御心と御計画を知らされたとき、主が私たちを主に従う者へと造りかえてくださいます。