2009年8月10日(月)エゼキエル25章 神の復讐の中で、神を認める


「エドムはユダの家に復讐をした。彼らはその復讐によって、大いに罪を犯した。それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしはエドムに向かって手を伸ばし、その中から人と獣を断って荒れ地とする。彼らはテマンからデダンにいたるまで剣で倒れる。」(エゼキエル25:12-13)

 25章からユダ王国を取り巻いている隣国のことが、取り上げられています。アンモン人は、ユダ王国の捕囚を見て、「あはは」と嘲りました(3節)。アンモンとモアブは単純に不幸をあざ笑っただけのようですが、エドムとペリシテは新バビロニア帝国のネブカドレツァルに手を貸して、積年の恨みを晴らすことまでしました。

 彼らへの報復が預言されています。人間的に見れば、これまで嘲った者達が裁かれるのですから、イスラエルの人にとっては痛快な預言でしょう。「他人の不幸は蜜の味」と言います。ましてや、それが仇敵に起ころうとしています。

 ところで、エゼキエルが語る報復は、人間の復讐心によるものではなく、神による裁きです。復讐心による報復は、報復の連鎖を呼び起こします。しかし、神による報復は、裁かれる諸国に、「わたしが主であることを知」らしめる裁きです。五回も語られています(5、7、11、14、17節)。罪が裁かれて、神を知る体験は、自分にも宿敵にも、すべての人に必要です。復讐心を捨て、神の御心を祈り求めましょう。