2009年8月3日(月)創世記48章 アブラハム、イサク、ヤコブの神


「わたしの先祖アブラハムとイサクがその御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ。どうか、この子供たちの上に祝福をお与えください。どうか、わたしの名とわたしの先祖アブラハム、イサクの名が、彼らによって覚えられますように。どうか、彼らがこの地上に数多く増え続けますように。」(創世記48:15-16)

 主がアブラハムに告げ知らせた約束は、彼とその一族を諸国民のなかにあって祝福の源にするというものでした。その約束がイサク、ヤコブにおいて確実に実現していくいきさつを明らかにしていくのが、創世記の一つの大きな目的です。

 ヤコブは、「アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ」と神に呼び掛けています。ヤコブは、自分の先祖が、神の契約に信頼し、神との契約関係のなかで歩んだことを誇りとしています。また、この呼び掛けは、自分も同じ契約関係に加えられている感謝の思いからなされています。

 ヤコブの願いは、子供たちが、アブラハム、イサク、ヤコブの神の約束どおりに、神の契約の子供として永遠の祝福を受け継いでいくことです。更に、その子供たちがまた、この契約のバトンを次世代へと確実に手渡していくことに、ヤコブがこだわり続けた願いがあります。

 ヤコブの祈りは今、私たちにも受け継がれています。主イエスによって与えられた神との永遠の契約は、私たちとの一代限りのものではなく、子々孫々に継承されていくものです。