2009年7月16日(木)使徒6章 全てが神の救いのために


こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。(使徒6:7)

 教会内で食事を巡ってある人たちが軽んじられているという問題が生じたとき、「霊≠ニ知恵に満ちた評判の良い七人」(3節)が、その世話のために選ばれました。素晴らしい説教ができるステファノのような人が、婦人たちの食事の世話をするために選出されているのは、驚きです。軽んじられている人を助ける愛の業は、高度な霊的な奉仕です。

 また、彼らの選出は、使徒たちが「祈りと御言葉」に専念するためでした。教会の牧師の働きは、愛の業と御言葉の業とを兼ねており、多様です。しかし、どんなに忙しくても、御言葉と祈りに専念する時間は、牧師に必要です。「神の言葉」がそのような備えをもって語られ、広がり、伝道は進展します。

 使徒たちが神の人なら、ステファノは天使のような顔を持つ弟子でした(15節)。伝道は、「祈りと御言葉の奉仕に専念する」人たちの働きと、「信仰と聖霊に満ちている」人たちの働きと、両者があって進んでいく共同の業です。各自が与えられている役割が何であれ、その務めに専念することは、必ず伝道の役に立ちます。