2009年5月25日(月)エゼキエル21章 救いは来る


高いものは低くされ、低い者は高くされる。荒廃、荒廃、荒廃をわたしは都にもたらす。かつてこのようなことが起こったことはない。それは権威を身に帯びた者が到来するまでである。
わたしは権威を彼に与える。(エゼキエル21:31-32)

 中学校を卒業するとき、憧れの女性教師が「贈る言葉」の色紙に、「青空を見上げてほほえむ」と書いてくださいました。それ以後、何度もこの言葉に励まされてきました。

 しかし、「ぬかるみ」のような日々が果てしなく続くように思われ、また、何日も青空など見えない「どしゃ降り」の日々をも経験しました。そのなかで信仰を得て、「青空」が「イエスさま」に変わりました。今は、「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブ12章2節)、雨の日も進むことができます。

 イスラエルの民は、波のように寄せては返す神の言葉を聞きます。「主の言葉を聞け」、「主の言葉がわたしに臨んだ」、「主なる神はこう言われる」と繰り返されています。それは、自分たちの罪・背信がもたらした滅びへの切迫した警告です。

 私たちは、ただちに悔い改める従順さをもって、これらの言葉を聞きましょう。その誠実な応答のなかでのみ、「荒廃」を癒し再生させる「権威を身に帯びた者」を仰ぐことができます。試練のなかでも、来臨の主を見上げ、ほほえみましょう。