2009年5月21日(木)ヤコブ3章 舌を制御する信仰


あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。(ヤコブ3:7-9)

 一方で、「父である主」すなわち神を賛美しながら、他方で、人間を呪う。このように、同じ人の口から、賛美と呪いが出て来る矛盾を、誰もが知っています。舌は、人を傷つけ死をもたらす毒をはらんでいます。

 ここでの問題は、「言葉」の罪です。ヤコブは、それを信仰と教会生活の根幹にかかわる事柄とみなしました。ですから、強い調子で「このようなことがあってはなりません」と戒めています。神から与えられた舌を、神の望んでおられる目的の通りに用いることは、至難の業です。

 制御不能の舌の罪から逃れる道はあるでしょうか。ヒントは、「神にかたどって造られた人間」(9節)という短い言葉にあります。神にかたどられた人間の真実の在り方から、遠のいてしまった私たちです。その私たちを、再び神のかたちに回復するため、主は来てくださいました。

 言葉を整えることは、小手先ではできません。教養は語彙を豊かにしますが、言葉から毒を抜くことはできません。人間性の課題、いや、神のかたちに回復される聖化の課題です。本気で言葉と向き合いましょう。