2009年5月12日(火)エゼキエル16章 再び訪れる幸せ


だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起こし、お前に対して永遠の契約を立てる。(エゼキエル16:60)

 16章の聖句を紹介しましょう。
 「お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた。しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ」(5〜6節)。

 この野に捨てられていた赤子が美しい娘に成長するまで養父母に育てられるように、都エルサレムは、神の愛の中ではぐくまれてきました。それにもかかわらず、神を裏切り、ほかの偶像の神々と霊的姦淫を続けた、と主の言葉は告発しています。

 驚くべき罪です。しかし、もっと驚くべきことは、エルサレムの過去の罪は消し去られ、神がもう一度新しい関係の土台を築いてくださることです。神はもう一度、永遠の契約を結んでくださいます。聖書は人間の罪の繰り返しの記録であると同時に、そのような人間に対する神の恵みの契約更新の記録でもあります。それも永遠に続くのです。人間の愚かさや忘恩的態度に対して、神の愛・忍耐・正義は際立っています。