2009年4月2日(木)1コリント4章 わたしを裁くのは主なのです


わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは、主なのです。(1コリント4:3-4)

 パウロはコリント教会のある人々から、能力や働きを批判され、使徒としての権威を疑われていました。上の聖句で「裁く」と訳されている言葉は、「評価する」「批判する」という意味です。パウロはそれに対して、私はそのような他人の評価や批判は少しも気にしないと語ります。主を畏れて歩むなら、この自由で力強い生き方が、私たちにも約束されているのです。

 さらにパウロは「自分で自分を裁くことすらしません」と語ります。能力や働きについて自己評価や自己批判をしない、と言うのです。彼は自らを省みて「何もやましいところはない」のですが、そのことに頼ることはしませんでした。なぜなら自分を裁くお方は主であると認めていたからです。主はパウロのすべてをご存じの公正な審判者でありつつ、罪を赦し、彼を必ず義としてくださる恵みの審判者でもあられます。この方に自分の評価を委ねて、パウロは畏れと喜びの内に労苦を続けることができたのです。

 人の評価によらず、主の評価によって生きましょう。それが、信仰者に備えられている恵みの道です。